父と娘の日記

或る70歳台父と40歳台娘の日々ー共通の趣味は、読書、音楽鑑賞(主にクラッシック)、登山、旅行等。

「天国にいちばん近い島」 森村 桂

お題「我が家の本棚」

 

天国にいちばん近い島」森村 桂 

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天国にいちばん近い島 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 1994/4/1 森村 桂 (著)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
一年中花が咲き、マンゴやパパイヤがたわわに実る夢のような島―

それこそ亡き父が幼い頃に話してくれた“天国にいちばん近い島”にちがいない…。まだ、外国へ行くのが難しかった時代、思いがけない人の善意から、南太平洋の島ニューカレドニアへ旅立った「私」はさまざまな体験をする。さわやかな「私」の行動が、爆発的人気を呼んだ“夢の配達人”桂のロングセラー旅行記

 

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あらすじ
桂木万里は、ドジで根暗な高校生。彼女は5歳の時、南太平洋に浮かぶ小さな島・ニューカレドニアの名を、父・次郎がしてくれたおとぎ話で知った。そこは、神さまのいる天国から、いちばん近い島だという。万里にとって“天国にいちばん近い島”は父と一緒に行く約束の場所だったが、突然、その父が亡くなった。“天国にいちばん近い島”を自分の目で確かめてみたいと思った万里は、冬休みのニューカレドニア・ツアーに参加する。島に着いた彼女は、一人自転車でヌメアの街に出、すみずみの景色を見て回るが、何か違うように思えた。万里はそこで、日系三世の青年・タロウと出会う。ふとしたことで、偽ガイド・深谷有一と知り合った万里は、彼のガイドを受けることになった。彼女から“天国にいちばん近い島”の話を聞いた深谷は、イル・デ・パン島に連れて行くが、そこも万里が想っていたものと違っていた。万里は、タロウを探しに市場に出かけ彼を見つけた。そしてタロウに教えられたウベア島へ、一人船に乗って出かける。万里はウベアで、島の人達の歓迎を受けるが、ここもまた違っていた。海辺を歩いていた彼女は、エイを踏んで倒れショックで熱を出す。そのため、ツアーの帰りの飛行機に乗り遅れてしまった万里は、ホテルを追い出され、ヨットで一晩明かそうとしているところを警察に保護された。万理にとっての“天国にいちばん近い島”は果たして見つかるのか?

 

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1966年に出版され、200万部を超えるベストセラーになった作品。1969年に書かれたこの文庫本の解説によれば、当時、書店に作品コーナーがあるのは川端康成とこの人くらいであったらしい。

 

 

………………海をね、丸木舟をこいで、ずうっとずうっと行くんだ。するとね、地球の、もう先っぽのところに、まっ白な、サンゴで出来た小さな島が一つあるんだよ。それはね、神さまのいる天国から、いちばん近い島なんだ。地球のどこかで神さまをほしがっている人があると、神さまは、いったんそこに降りて、土人に丸木舟を出してもらって、日本に来たり、アメリカに行ったりするんだよ。だからその島は、いつ神さまがとびおりても痛くないように、花のじゅうたんが一面にしいてあって、天に近いからいつもお日さまを浴びて、明るくて、あったかいんだよ。その島の土人たちが黒いのは、どこの国よりもお日さまをいっぱいもらっているからなんだよ。その島の土人たちは、神さまと好きなだけ逢えるから、みんなみんな幸せなんだ。

 幼い頃の父親の言葉を心に温め続けていた主人公は、ある日、ニューカレドニアという島の話を聞き、その島こそ、亡父の言っていた「天国にいちばん近い島」にちがいないと思い込む。ニューカレドニアといえば、いまでこそずいぶんリゾート化され、日本人観光客にも人気らしいが、当時、日本からの交通手段はニッケル鉱石の運搬船しかない島だった。主人公は、その島に行きたいという虚仮の一念で鉱石運搬船の船主会社の社長宛に手紙を書き、親戚や友人から借金をして、その船に乗る。

 しかし、実際に到着したニューカレドニアは、期待していたような島ではなかった。

……東の丸窓からのぞくと、いきなり赤土の山が迫っていた。暑くるしそうに繁った樹々でおおわれている。その樹はみずみずしい青さではなく、暑い太陽にさらされて、乾ききった生気のない青さだった。どの山の土も赤く、どの樹も同じような樹ばかりだ。
「この島、なんですか」
 私は甲板に出て、そこに立っている無線局長のおじさんにいった。
「着きましたね、いよいよ。これがニューカレドニアですよ」

 夢に描いてきた姿とはまったく異なる赤い山、これがニューカレドニアなのか。
 こういうのはここだけなんでしょ、やっとの思いで尋ねる主人公に、無線局長は、みんなこんなものだと答える。この赤土こそが、この島の主要な産物たるニッケルなのであり、これを目指して世界各地から船が通っているのだ、それ以外の用事でこの島を訪れる者はいない。

 ヌーメアの町でも、主人公の期待は裏切られ続ける。到着当日のレセプションでこそちやほやされるが、それはすべて社交辞令であり、翌日以降、誰も声をかけてくれない。世話をしてくれるはずだった商社の青木氏からは産業スパイの疑いをかけられ疎まれる。一泊三千円のホテル(消費者物価指数でいえば、当時の三千円はいまの一万二千円くらいにあたるようだ)の部屋で、残っているお金を計算しながらフランスパンをかじる生活。ホテル住まいを脱するためにヌーメア在住の日本人を訪ねても冷たくあしらわれる。
 主人公を救ったのは、「ムスメ」という日本語を知る女性との出会いだ。主人公は、その女性の肩でさんざん泣いた揚げ句、彼女が日本人ではなくベトナム移民であることを知る。しかし、その女性は、言葉が通じないながらも、主人公の窮境をさとり、自分の店でオムレツとスープをご馳走してくれる。
 日仏混血の林氏と出会ってホテル暮らしを脱し、林家の流しを修理しにきたやはり混血のワタナベ氏の知遇を得る。ワタナベ氏が吞ませてくれたヤシの実に主人公が喜んでみせると、ワタナベ氏は毎日まいにち林家にヤシの実を届けに来る。おかげで、林家では水もお茶も禁じられ、ただひたすらヤシの実を吞まねばならないというありがた迷惑。しかし、それが評判になったことで、「ヤシの実ならばウベア島がいちばん」とウベア島の酋長の息子レモが百個ばかりのヤシの実とともに、主人公の前に現れるのだ。
 日本人の父とフランス人の母との間に生まれたワタナベ氏は、幼い頃に両親と離れ、現地人に育てられた。助けてくれたのは、現地人であり、フランス人も、日本人の二世も、誰も助けてくれなかった。自分にボンジューと挨拶してくれた日本人は主人公だけだ、という。その感激だけで、ワタナベ氏は主人公にヤシの実を毎日届ける。虫垂炎で入院した主人公を毎日見舞い、十二万円という主人公の有り金全部にあたるような入院費用も負担してくれる。

 そして、レモに招待されたウベア島で、主人公は、ついに夢に描いた光景をみた。

 どこまでもどこまでも、それは続いていた。快よい潮風をうけながら、私はヤシ林を出て、まっ白な砂の上に出た。その白い砂を、はだしの足にしっかりと踏んだ。しめっぽい砂が快よく、私の足はススッとその砂の中に埋まった。見わたしてみても、人影一つない、まっ白な砂浜がつづいていた。私はこの、だれも踏んだことのないだろうまっ白な砂に、自分の足がたをつけて進んだ。この白い砂と青い海の間に透明な水があった。底にサンゴ礁の鮮やかな模様が揺れていた。
 ああ、この青い色。十二日間の船の上からは見られなかった色。ニューカレドニア本島でも、このウベアでも見なかった。こんなに底ぬけに明るく、しかも静かな、澄みわたった青さ。わたしはその透明な水に足をひたした。初めて水に触れたような緊張があった。水はかすかにあたたかく、気持ちよく私の足を迎えた。一足、また一足、砂とちがうサンゴ礁の感触を味わいながら、水の中をゆっくりと歩いた。波がやって来てワンピースの裾が濡れる。私はかまわず足を踏みしめて歩く。
「お父さん──」
 ああ、まぶしくて目があかない。
「お父さん、来たわよ、ここに」
 この海のむこうに天国がある。ここがいちばん天国に近いところなのだ。私は目を開いてみた。水平線のむこうまで青さは続いていた。

 

 

 

学生の頃、初めて読んだ時から、行ってみたいと思っていて、未だ行けていません。

いつか行くその日を夢見て、今日もお仕事、頑張ります。