父と娘の日記

或る70歳台父と40歳台娘の日々ー共通の趣味は、読書、音楽鑑賞(主にクラッシック)、登山、旅行等。

「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス

お題「我が家の本棚」

 

 

アルジャーノンに花束をダニエル・キイス

 

 

 

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内容説明
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?全世界が涙した不朽の名作。著者追悼の訳者あとがきを付した新版。

  

著者等紹介
キイス,ダニエル[キイス,ダニエル] [Keyes,Daniel]
1927年ニューヨーク生まれ。ブルックリン・カレッジで心理学を学んだ後、雑誌編集などの仕事を経てハイスクールの英語教師となる。このころから小説を書きはじめ、1959年に発表した中篇「アルジャーノンに花束を」でヒューゴー賞を受賞。これを長篇化した本書がネビュラ賞を受賞し、世界的ベストセラーとなった。その後、オハイオ大学で英語学と創作を教えるかたわら執筆活動を続け、話題作を次々と発表した。2014年6月没。享年86

 

 

小尾芙佐[オビフサ]
1955年津田塾大学英文科卒、英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

 

出版社内容情報
32歳で幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイは、ある日、ネズミのアルジャーノンと同じ画期的な脳外科手術を受ければ頭がよくなると告げられる。手術を受けたチャーリイは、超天才に変貌していくが……人生のさまざまな問題と喜怒哀楽を繊細に描き、全世界が涙した現代の聖書。

 

  

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より

アルジャーノンに花束を Flowers for Algernon
著者 ダニエル・キイス 訳者 稲葉由紀(中編版) 小尾芙佐(長編版)
発行日 中編版1959年4月、1961年2月(日本語訳)
長編版1966年3月、1978年(日本語訳)
発行元 Harcourt, Brace & World 早川書房(日本語訳)
ジャンル SF小説
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 言語 英語

アルジャーノンに花束を』(アルジャーノンにはなたばを、Flowers for Algernon)は、アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイスによるSF小説。1959年に中編小説として発表され、翌年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞。1966年に長編小説として改作され、ネビュラ賞を受賞した。
それまでのSF小説が宇宙や未来などを舞台とした作品であったことに比べ、本作は知能指数を高める手術とそれに付随する事柄という限定した範囲での前提でSFとして成立させている。ジュディス・メリルは、本作をSFの多様性をあらわす作品のひとつとして位置づけている。また、最後の一文が主眼であり、ここに収束される感動に泣かされる作品でもある。

 

あらすじ
アルジャーノンに花束を』の主人公、チャーリー・ゴードンは30才にして知能は6才程度。知的障害を持つ青年チャーリイは、かしこくなって、周りの友達と同じになりたいと願っていた。他人を疑うことを知らず、周囲に笑顔をふりまき、誰にでも親切であろうとする、大きな体に小さな子供の心を持った優しい性格の青年だった。
彼は叔父の知り合いが営むパン屋で働くかたわら、知的障害者専門の学習クラスに通っていた。ある日、クラスの担任である大学教授・アリスから、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。先に動物実験で対象となったハツカネズミの「アルジャーノン」は、驚くべき記憶・思考力を発揮し、チャーリイと難関の迷路実験で対決し、彼に勝ってしまう。彼は手術を受けることを快諾し、この手術の人間に対する臨床試験の被験者第1号に選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇し、数ヶ月でIQ185の知能を持つ天才となった。チャーリイは大学で学生に混じって勉強することを許され、知識を得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。だが、頭が良くなるにつれ、これまで友達だと信じていた仕事仲間にだまされいじめられていたこと、自分の知能の低さが理由で母親に捨てられたことなど、知りたくもない事実を理解するようになる。
また、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままだった。突然に急成長を果たした天才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。周囲の人間が離れていく中で、チャーリイは手術前には抱いたことも無い孤独感を抱くのだった。さらに、忘れていた記憶の未整理な奔流もチャーリイを苦悩の日々へと追い込んでいく。
そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変が起こる。チャーリイは自分でアルジャーノンの異変について調査を始め、手術は一時的に知能を発達させるものの、性格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能は、やがて失われ元よりも下降してしまうという欠陥を突き止める。彼は失われ行く知能の中で、退行を引き止める手段を模索するが、知能の退行を止めることはできず、チャーリイは元の知能の知的障害者に戻ってしまう。自身のゆく末と、知的障害者の立場を知ってしまったチャーリイは、自らの意思で障害者収容施設へと向かう。
彼は経過報告日誌の最後に、正気を失ったまま寿命が尽きてしまったアルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージ(「ついしん」)として、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」と締め括る。

 

 

 

 

 

アルジャーノンとは、この本に登場する白ネズミのこと。主人公チャーリー・ゴードンの良きライバルとして登場する。そして主人公チャーリーは、白痴であり物事を何回やっても憶えられなかったり文字を読むこともろくに出来なかったりする32歳の男。
チャーリーと白ネズミのアルジャーノンにはある共通点がある。二人とも、脳の手術をして頭をよくしてもらったこと。知恵遅れのチャーリーが、手術により高い知能を獲得し、再び失う。

ひらがなと誤字脱字とで無邪気に書かれたIQ68の「けえかほおこく」が徐々に「経過報告」に整っていく見事さ。そしてついにIQ185に達した知性が、徐々にけえかほおこくへと退行してゆく残酷さ。一緒にダンスを踊ったフェイには部屋に鍵をかけられ、かつてアリスと呼んだ女性を再びキニアン先生と呼ぶようになる哀切さ。
わかることが素晴らしいことであると同時に、とても重みのあることだというのに気付かされる。天才となる前のチャーリイは、悪意を持って嘲笑してくる人のことを友人と思っていたし、彼らは自分を好いていると思っていた。
しかし、チャーリイはその全てを理解し、絶望と孤独に打ちひしがれる。しかし、天才であったほんの数ヶ月を後悔していなかった。世界中の知らなかったことを知ることができた。

知能指数が人工的に高められた結果、友達は離れ、人格も変わり、彼は別人のようになる。知的障がい者であった過去の自分と非凡な現在の自分、どちらも自分であるゆえに、自分とは何なのかと悩む。時折、昔のチャーリイが顔を覗かせる。ところが急に上がった知能は、低下するのも急で、同じく知能を高められたアルジャーノンというネズミと同じ運命を辿ることが分かった。チャーリイの最後の願いがこの本のタイトルなのだと気付いて胸がいっぱいになった。
「知能だけではなんの意味もないことをぼくは学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです、あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです」

人間とは、人生とは、幸せとは・・・なんでしょう。

高校生の時、初めて読みました。

 何度読んでも感動します。

 

アルジャーノンに花束を〔新版〕

アルジャーノンに花束を〔新版〕

 

 

 

 

公道で自動運転タクシーの利用始まる 中国・北京(2020年10月15日)

お題「気になる番組」

 

公道で自動運転タクシーの利用始まる 

安全のため担当者が同乗するが運転には関与しないと言う。

中国・北京(2020年10月15日)

 

中国の北京では、一般の車が行き交う公道で自動運転のタクシーの利用が始まりました。

 中国のIT大手「百度」は10日から北京市内の一部の地域で自動運転タクシーの運行を開始。利用者はスマートフォンのアプリでタクシーを呼び、指定された場所から乗車。

車内の撮影は認められませんでしたが、提供された映像では自動で目的地に向かう様子が紹介されています。

安全管理のため運転席に係員が座りますが、ハンドルには触れません。

現在は試験段階として用意された複数の場所から目的地を選ぶ形で利用は無料です。

 


公道で自動運転タクシーの利用始まる 中国・北京(2020年10月15日)

 

 

 

 

 

人民網日本語版 2020年10月14日14:55より

自動運転タクシー無料試乗サービス開始 北京

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道路を走行する自動運転タクシー。通常の状況では、同乗する安全補助員は車両を制御する必要がない(10月13日に撮影・侯宇)。
北京でこのほど、百度による自動運転タクシー無料試乗サービスがスタートした。市民は、北京経済技術開発区、海淀区、順義区などに設けられた数十ヶ所の乗り場で、スマホのアプリで配車リクエストをすれば、自動運転タクシーの無料試乗サービスを体験することができる。中国新聞網が報じた。(編集KM)

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自動運転タクシーのオンライン配車リクエスト画面(10月13日に撮影・侯宇)。

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乗客の指定した場所に到着した百度自動運転タクシー(10月13日に撮影・侯宇)。

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道路上を走行する百度自動運転タクシー(10月13日に撮影・侯宇)。

 

 

 

 

 

 

 

中国はすでに自動運転のための道路整備も始まっている。

日本もいろいろな面で、頑張らないと。

「ノルウェーの森」村上春樹

お題「我が家の本棚」

 

ノルウェイの森」は、村上春樹さんの最初に読んだ作品です。そして、繊細な言葉の表現やニュアンス、想像つかないストーリーの展開に魅力を感じ、全作品を読むようになりました。

学生時代に最初に読んだ時、衝撃を受けて、上下巻を読んだ後、再び上巻を読み直しました。そして、今まで何度も読みました。

物語は、語り手「僕」がハンブルグ空港に着陸する直前の飛行機の中で、ビートルズの「ノルウェイの森」を耳にするところから始まる。その曲が「僕」を一気に18年前の回想へトリップ。その当時は理解することのできなかった直子の姿を頭の中に描き出し、もう取り返しのつかない18年前の出来事について読者を導いていく。

 

 

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ノルウェイの森

出版社:講談社文庫   単行本発売日:1987/09   文庫:上302ページ 下293ページ

 

著者:村上春樹(1949~)

早稲田大学卒。1979年『風の歌を聞け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年の『ノルウェイの森』が大ベストセラーに。主な作品に『海辺のカフカ』『1Q84』等。

 

 

あらすじ・内容
十八年という歳月が流れ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきりと思い出すことができる――。1969年、大学生の僕、死んだ友人の彼女だった直子、そして同じ学部の緑、それぞれの欠落と悲しみ――37歳になった僕は、機内に流れるビートルズのメロディーに18年前のあの日々を思い出し、激しく心をかき乱されていた。時代も国境も越えて読み継がれる世界的名作。


37歳のワタナベは、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェイの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして学生時代のことを回想した。
直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子はワタナベの友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、ワタナベはある女の子と付き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。
1968年5月、ワタナベは、中央線の電車の中で偶然直子と1年ぶりの再会をする。直子は武蔵野の女子大に通っており、国分寺のアパートでひとり暮らしをしていた。二人は休みの日に会うようになり、デートを重ねた。
10月、同じ寮の永沢と友だちになった。永沢は外務省入りを目指す2学年上の東大生だった。ハツミという恋人がいたが、女漁りを繰り返していた。
翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝た。その直後、直子は部屋を引き払いワタナベの前から姿を消した。7月になって直子からの手紙が届いた。今は京都にある(精神病の)療養所に入っているという。その月の末、同室の学生がワタナベに、庭でつかまえた螢をくれた。
夏休みの間に、大学に機動隊が入りバリケードが破壊された。ワタナベは大学教育の無意味さを悟るが、退屈さに耐える訓練期間として大学に通い続けた。ある日、小さなレストランで同じ大学の緑から声をかけられる。演劇史のノートを貸したことがきっかけで、それから緑とときどき会うようになった。
直子から手紙が来て、ワタナベは京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねた。そして同室のレイコに泊まっていくよう勧められる。レイコはギターで「ミシェル」や「ノーホエア・マン」、「ジュリア」などを弾いた。そして直子のリクエストで「ノルウェイの森」を弾いた。(以上、上巻)


ある日曜日、ワタナベが緑に連れられて大学病院に行くと、そこでは彼女の父親が脳腫瘍で入院していたが、父親は数日後に亡くなった。永沢は外務省の国家公務員試験に受かり、ワタナベはハツミとの就職祝いの夕食の席に呼ばれる。
ワタナベの20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届いた。冬休みになり、再び療養所を訪れ、直子、レイコと過ごした。
年が明け(1970年)、学年末の試験が終わると、ワタナベは学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借りた。4月初め、レイコから直子の病状が悪化したことを知らせる手紙が届いた。4月10日の課目登録の日、緑から元気がないのねと言われる。緑はワタナベに「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」と言った。
6月半ば、ワタナベは緑から2か月ぶりに話しかけられ、恋人と別れたことを報告されるが、ワタナベにできることはレイコに全てをうちあけた正直な手紙を書くことだった。
8月26日に直子は自殺し、葬儀の後でワタナベは行くあてもない旅を続けた。1か月経って東京に戻ると、レイコから手紙が届いた。レイコは8年過ごした療養所を出ることにしたという。東京に着いたレイコを自宅に迎える。彼女は直子の遺品の服を着ていた。風呂屋から戻ると彼女はワインをすすり、煙草を吹かしながら直子の葬式をやり直そうと言い出した。次から次へと知っている曲を弾いていった。そして50曲目に2回目の「ノルウェイの森」を弾いた。そのレイコとワタナベは性交をして、直子の葬式を終えた。
翌日、旭川に向かうレイコを上野駅まで送った。ワタナベは緑に電話をかけ、「世界中に君以外に求めるものは何もない、何もかもを君と二人で最初から始めたい」と言うのだった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より

 


上 P.20 : 直子
「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」

上 P.67 : 永沢
「他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ知ってるか、ワタナベ?この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ」

上 P.124
たぶん我々はあのとき会うべくして会ったのだし、もしあのとき会っていなかったとしても、我々はべつのどこかで会っていただろう。とくに根拠があるわけではないのだが、僕はそんな気がした。

上 P.155 : 僕
「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」

上 P.229 : 直子
「死んだ人はずっと死んだままだけど、私たちはこれからも生きていかなきゃならないんだもの」

下 P.6 : レイコ
「私たちがもともな点は」「自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」

下 P.170 : 永沢
「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

下 P.183 : 僕
お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ。何故なら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりもっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。

下 P.205 : 緑
「どうしてあなたってそんなに馬鹿なの?会いたいにきまってるでしょう?だって私あなたのことが好きだって言ったでしょ?私そんなに簡単に人を好きになったり、好きじゃなくなったりしないわよ。そんなこともわかんないの?」

下 P.220 : レイコ
しかし結局のところ何が良かったなんて誰にわかるというのですか?だからあなたは誰にも遠慮なんかしないで、幸せになれると思ったらその機会をつかまえて幸せになりなさい。私は経験的に思うのだけれど、そういう機会は人生に二回か三回しかないし、それを逃すと一生悔やみますよ。

下 P.226
「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」

下 P.227
どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。

 村上春樹研究所制作委員会「村上春樹研究所」より

 

 

 

ノルウェイの森 (講談社文庫)

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

 

 

 

逆境を生きる 城山三郎

お題「我が家の本棚」 

 

 

逆境を生きる 城山三郎

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城山三郎の講演会を書籍化したもの。

浜口雄幸元首相、広田弘毅元首相、渋沢栄一田中正造毛利元就伊達政宗らの生き様を通して、人間の“真の魅力”とは何かを問いかける講演録。 

 

1  初心が魅力をつくる。

逆境にあっても、今ある自分に安住せずに、人の話を聞いて、人から学ぶ。

発信だけでなく、受信能力が、生き抜く上で大切。

 

2 人はその性格に合った事件にしか合わない

逆境に置かれても、逆境を意識する暇がない。

与えられた仕事が面白くなければ、自分で作り切り開いていく。

 

3 魅力ある指導の条件

中曽根元首相は、やる気、地味にしている、責任感が強い、大局をつかむ力、先見性、懐の深さと回答。

王蒙さんは、強い意志、慎重さ、程度を見極める力と回答。

 

伊達政宗は人間通、人間観察の名人、順応性が高い、無所属の自分だけの世界を持つ、と城山三郎氏は書いている。

 

4 父から息子へ伝えるべき事項

キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父から息子への30の手紙』より、

・準備。 初めての人と会う前に、その人のことを十分知っておけ。

・挑戦。 失敗は取り返しができるが、やってみないことが最大の失敗。取り返しのできない唯一の失敗は、挑まないこと。

・人に信頼される人間になれ。

・想像力。人間を見極める目。人間通。自分の信念を守る強い勇気を持つ。

 情報の重要性。人脈、見聞、感性の重要性。

 危険を避けないが安全確保の幅を広げておく。 逃げ道。

 動きが早すぎてはダメ。必ずミスが起こる。

 愚痴は言うな。得意になることは5分で忘れ、嘆きべくことは1秒で忘れろ。

 

作家に求められることは、愚痴や信条ではなくて、作品の世界に無限の努力で打ち込むこと。

 

5 少しだけ無理をしてみる。

6 自ら計らわず

7 人間への尽きせぬ興味

8    強く生きる。

 

自分と合わない人間でも、その人の生き方とか、生きている姿勢に興味を覚え理解していく。必ず自分の戦力になっていくもの。

 

これからの時代に生きていくには、まず人は蟻にならくちゃいけない。

つまり蟻のように孜孜営々と黙々と働くことが必要だ。

蟻→トンボ(複眼)→人間  豊、魅力的、人として愛されなくてはいけない。

 

アメリ精神科医 心理学の考え方

人間を支える三本の柱  充実させておけば一本柱が揺れ動いても支えてくれる。

・セルフself 自分だけの世界:読書、音楽鑑賞、絵を見たり描いたり。

・インティマーシー:親近性、仲間、家族、友人等。

・アチーブメンント:達成、目標。

 

 

 

印象に残ったのは 著書「落日も燃ゆ」という小説の中で書かれた広田弘毅氏。

(「落日も燃ゆ」は、明治、大正、昭和と外交官から外務大臣、首相になった生涯を描いた作品)。 

城山氏は、広田興毅氏を戦争を起こさないよう最大限努力した人という。

 

広田は外交官出身で二・二六事件の後で総理大臣になっている。

東京裁判ではA級戦犯で死刑になった7人の中で、軍人でないのは広田弘毅元首相の一人。

広田は右翼と軍隊がクーデターで政府を倒そうとした二・二六事件の後で、実行犯や首謀者に対し、きちっとした決着をつけている。

これはそれまでの総理がやらなかったこと。

三国同盟でも、ぎりぎりまでイギリスや他の国も引き込んで、共産主義に反対するための同盟にしようと努力していた。

総理大臣になってから、新居を探そうとすると、他の人が是非にと持ち込んでくる土地が、少しでも安いと断ってしまいます。

「なぜなら自分は政治家だから」

 

また、戦後になって、協和外交で戦争を回避しよう苦慮し、各国などに働きかけようとしたが、西園寺公望、総理大臣を選ぶ元老という立場にあって、広田はもう限度いっぱい軍部に抵抗し、あれ以上のことをやったら憲法が壊れてしまう、と証言しているそうだ。

広田は総理の座から去った後、林内閣を挟んで、近衛文麿が総理大臣になった時に要請され、外務大臣になった。

この時にシナ事変が起き、南京大虐殺が起こった。

戦争は回避できず、戦後はただ一人の文官として、戦犯扱いされた。

文官が軍人をシビリアンコントロールしているというのが外国の考えだった。

近衛はすでに自殺していたりして、結局、広田まで遡ってきた。

太平洋戦争前に彼はもう辞任して何もしていないのに、死刑になった。

広田は東京裁判に出廷した時も、いっさい自分の弁解はしなかった。

東京裁判中、被告として自己弁護をするために証言台には立たなかった。

自分が話せば、誰かが不利になると思い、自己弁護しないで、検事が言うことや他の人が
言うことを全部承認してしまう。

広田がこう命令した、こういう悪いことをしたと検事が告発し、それに対しても一切反駁しなかった。

広田は自分が全ての罪をかぶっていれば、天皇には罪がいかないだろうという判断。  
検事の質問に対して、広田は「それを承認しました」「その通りです」といい続けた。

ほとんどの人は広田は無罪になるだろうとみていたが、判決は死刑だった。

キーナン主席検事までが、「なんというばかげた判決か」と言っているくらい、死刑を覚悟していたとしか思えない。   

死刑になることで天皇をかばい、そうすることで、いわば戦後日本の出発を、一身に引き受けようとしていた。


そのことをいちばん深くわかっていたのは広田の奥さん、静子さんだった。

東京裁判の審理が終わって、あとは判決を待つばかりとなった日、

「今日で裁判が終わったんですから、区切りと思ってお父さまのお好きな五目御飯を炊いて、みんなで食べましょう」とみんなで食べたの夜は話がはずんだ。  

そして、翌朝、静子さんは布団の中で死去亡。酸カリをのんで自殺。遺書はなかった。

広田は地位や名誉を求めてあくせくしないし、利己的なところがなく、金銭にきれいだし、卑
しさがない。淡白度が高い。ついには自分の命を捨てることにさえてん淡としていられるくらい、きわめて淡白でいられる人。それが彼の魅力を形作った、最大の要素かもしれない、と書かれている。

 

 

 

浜口雄幸

著書「男の本壊」という小説に書かれ、魅力、強さ、情熱、理想主義、プラス努力の人。

昭和のはじめに総理大臣となるが、金解禁、軍縮、緊縮財政を成し遂げた、昭和5年(1930年)に、東京駅で銃弾を受ける。

その後暫くして、その傷が元で亡くなる。

「自分は一身を燃焼させて、命を懸けてやってきたから、ここで斃れても、男子の本壊だ」と言ったそうです。

 ライオン宰相と呼ばれた彼は、風貌はいかつく、またもともと無口であったそうですが、 情熱と努力の人だったそうです。

 組閣は、性格も異なり面識もなかった、日銀の井上準之助を大蔵大臣によぼうとしますが、井上氏は難色を示す。浜口氏は彼を口説く。

 

「財政整理(公務員の一割減棒)をやればうらみを買う。軍縮をやれば、軍部のうらみを買う。デフレ政策をやるが、推進して命が助かったものはいない」

 「しかし、死を覚悟してやる、自分と一緒に死んでくれないか」

 そして、井上氏は申し出を受け入れる。

 浜口氏の言葉、

「政治は国民道徳の最高標準たるべし」

「もっともっと多数の国民のためになる方法はないかと、右からも左からも上からも下からも考え抜くことだ」

 本来、彼は政治家向きではなかったそうですし、大蔵官僚だったころあちこち地方にとばされたそうですが、どこに行ってもイギリスから「タイムズ」を取り続けていたそうです。

もう東京へ帰れないとあきらめるのではなく、目線はつねに高く、時代の流れの先端とか大局をつかむ努力は忘れない。

 

ようやく地方から、大蔵省本省に戻されると、塩業の官業化を行う担当を命じられます民間から恨まれてしまう。

それでも、2年後、役所特有の異動がありますが、次の昇進ポストをことわって、塩業の仕事を引き続きやらせてくれと言う 。 

好きじゃないけれども、やりにくい仕事だから、やり遂げるまで替わるわけにはいかないと言う。

 

また、政治家になったら演説をしなければいけないということで、無口な彼は、人の演説をきいてまわる、海へ行って演説の稽古をします。

草稿は自分でつくりますし、演説の約束をしたら、かならず行きますし、丁寧にしつぎ応答をします。

台風で道が閉ざされたら、車を捨てて、歩いて夜中の二時に会場に辿りついたそうです

そんな姿勢から、やがて総理大臣に推されるようになり、冒頭に挙げたように、野党からも自分たちのやることがなくなってしまうと言われるような政策を実現していきます。

 

 

先人達の生き方から、逆境を生きるヒントを探り、学ぶべきことが沢山書かれています。

 

「人間はある意味実に弱いものだから、いろんな工夫をして、弱い自分を支えていかなくちゃならない。」という城山さんの言葉に、共感した。

 

 

 

著書の中で、莫迦 という文字が、目についたので、調べて見ました。

 

ばか 【馬鹿・莫迦
〔梵 moha(愚の意)の転か。もと僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字〕

( 名 ・形動 ) [文] ナリ
① 知能の働きがにぶい・こと(さま)。そのような人をもいう。 ⇔ 利口 「 -な奴(やつ)」
② 道理・常識からはずれていること。常軌を逸していること。また、そのさま。 「そんな-な話はない」 「 -を言うな」
③ 程度が並はずれているさま。度はずれているさま。 → 馬鹿に
④ 役に立たないさま。機能を果たさないさま。 「スイッチが-になる」
⑤ 特定の物事に熱中するあまり、社会常識などに欠けること。 「学者-」 「専門-」 「親-」
⑥ 名詞・形容動詞・形容詞の上に付いて、接頭語的に用い、度はずれているさまの意を表す。 「 -ていねい」 「 -正直」 「 -騒ぎ」 「 -笑い」 「 -でかい」 〔 (1) 並はずれてお人よしなさまを親しみを込めて言う。また遠慮のない間柄の人に対して、その不手際を批判する際に親しみを込めて用いる。「そんなことをするなんて、あいつも-だな」「あの-がいつまで待たせるんだ」 (2) 「そんなばかな」の形で、その事態が成立するはずがないという意を、驚きあきれた気持ちを込めて言う。「そんな-な、まだ着いていないの」〕

( 感 )
相手をののしったり、制止したりするとき発する言葉。 「 -、やめろ」

(1) 「ばーか」と伸ばして発音すると、相手を軽蔑する気持ちを表す。

(2) 「ばかばか」の形で、若い女性が親しい男性に対して、その意地悪な言動などを愛情を込めて批判する場合に用いる。「私の気持ちを知らないなんて、--」

三省堂 大辞林 第三版

 

 

また『バカ』の語源は、様々な説があるようです。

① バカは「莫迦」という漢字で表わすことができます。

   この莫迦サンスクリット語で「無知・迷妄」を意味する「baka」

moka」が中国に伝わって、音写され「莫迦」になった。 

② 古代中国 秦の時代に若い皇帝を操り、強力な権力を握っていたと

    云われる宦官 趙高が皇帝に「これは馬でございます」と

   言って鹿を献上したところ皇帝は驚き

   「これは鹿でござろう?」と周りの群臣達に尋ねたところ

   群臣達は、趙高の権勢を恐れ皇帝に、鹿を馬と言った。

   この史記にある故事に因んで、バカを「馬鹿」というように

   なった。

③ むかし支那に「馬」という姓の富豪の一族がいて、

   くだらないことにお金を湯水のごとく使い、その家が荒れ放題になったという

   白居易の詩の一説から生まれた説で、馬家の者から「馬鹿者」になったと云われる。

④ 禅の経典に出てくる「破家」(破産するという意味)に「者」をつけ

   「破産するほど愚かな者」ということから「馬鹿者」という言葉が生まれた。

   他にも様々な説があるようですが、どれも確定的なものではないようです。

    

 

 

www2.nhk.or.jp

逆境を生きる

逆境を生きる

 

 

 

 

 

夢庵 北海道濃厚ソフトダブル

お題「大好きなおやつ」

 

 

先日、夢庵にて北海道濃厚ソフトダブルを注文。

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濃厚でなめらかな口どけの、夢庵自慢のソフトクリーム。

※北海道産生乳を60%使用。

 

ミルクが濃厚で、とろける美味しさです。

御馳走さまでした。

 

 


シャトレーゼのハロウィン菓子

 

お題「大好きなおやつ」

 

 

シャトレーゼのハロウィン菓子🎃👻

 

どれも可愛くて、美味しそう。

 

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ハロウィンのラスクとクッキー2種類を、あとは常設の焼き菓子を購入しました。 

 

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ハロウィン
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より

別名 All Hallows' Eve
種類 ケルト人の伝統にルーツをもち、古代ローマおよびキリスト教からの影響を受ける
日付 10月31日
行事 コスチューム・パーティ・焚火・占い
関連祝日 サウィン祭・諸聖人の日
ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは悪魔やサウィンなどを崇拝し、生贄を捧げる宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対しては、本来、キリスト教にとっては異教徒の祭りであることから、キリスト教教会においては、容認から否定まで様々な見解がある。

 


 

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映画「フラッシュダンス」

 


お題「ゆっくり見たい映画」

 

 

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フラッシュダンス

ジェニファー・ビールズ (出演), マイケル・ヌーリー (出演), エイドリアン・ライン (監督)

 

アイリーン・キャラが歌った主題歌(アカデミー歌曲賞受賞)も大ヒットした、1980年代の青春サクセスストーリー。プロダンサーを目指すヒロインの青春を鮮やかに描写。

 

ヒロインはプロのダンサーを目指す19歳の少女、アレックス。昼は溶接工、夜はバーのダンサーとして働く彼女は明日の成功を夢見る……。

後に「ナインハーフ」などを手掛けるA・ライン監督は細かいカット割りの映像美で、当時新人だったJ・ビールスから新鮮な魅力を引き出すのに成功。

ビールスも日本の化粧品CMに出演するほどの人気を獲得した。

主題歌だけでなくサントラアルバムも大ヒットを記録。「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのJ・ブラッカイマーらプロデューサー陣も錚々たる顔ぶれがそろった。

 

 

 

 

何度も観ています。ダンサーになる夢を追う女性の姿を描いた青春映画。

昼は製鉄所、夜はナイトクラブのフロアダンサーとして働き、プロのダンサーになる日を夢見て、昼夜で異なる仕事とダンスの練習に励むアレックス。彼女にとって、かつて伝説的ダンサー・チーム、ジーグフェルド・フォリーズで活躍したという友人の年老いた女性、ハンナが目標で、日々プロのダンサーになることを夢みて暮らしていた。

そして、ニッキーという恋人ができるが、恋人との確執、友人の死などを経て、いよいよオーディションの日が迫ってきた……。
素晴らしい踊りと音楽。そして、葛藤、孤独、死、友情など、苦悩するシーン。

今まで何回見たかな、そして毎回何度も泣いてしまう。

ジェニファーの可愛らしさも、魅力の一つ。音楽も良いです。

ヒロインのダンスにかける情熱ばかりではなく、鉄工所やクラブでの労働、鉄工所のオーナーとの恋、職場やダンスをめぐる人間関係なども描かれていて、飽きさせられることがなく、今日の目から見ても十分魅力ある作品だと思います。

また、ストリートダンスや交通整理にあたる警察官のリズミカルな動作など、自然発生的なダンスも描かれ、それに敏感に反応するアレックスの姿を通して、ダンスに対する情熱が伝わってきます。

最後のオーディションで、ダンスに思わず審査員のおじさんやおばさんのが乗っていくシーンは、とても楽しめます。

 

 私も、目標に向かって頑張ろうという気持ちになります。

 

 

 

 ラストのオーディションのシーン。

 

大まかなあらすじ 

 

 オフィシャルビデオより


Irene Cara - Flashdance What A Feeling Official Video

 

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

 

曲の歌詞も素敵。


フラッシュ ダンス / 歌詞

 

 

 

 

 

 

 

フラッシュダンス (字幕版)

フラッシュダンス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 
フラッシュダンス (吹替版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

「ユマニチュード入門 」– 2014/6/9 本田 美和子 (著), ロゼット マレスコッティ (著), イヴ ジネスト (著)

お題「我が家の本棚」

お題「わたしの仕事場」

 

 「ユマニチュード入門 」– 2014/6/9 本田 美和子 (著), ロゼット マレスコッティ (著), イヴ ジネスト (著)

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ユマニチュードとは「人間らしくあること、人間らしさを取り戻すこと」という意味。

「病気で一人、ベッドにいる。痛みと汚れで惨めな思いをしていると、誰かがドアをノックして私の返事を待った。一人の男が入ってきた。私の目をじっと見つめ、側に座り、静かな温かい声でこう話した。『私はあなたをケアするために来ました。私は専門家です』」

 

 ケアに関わる多くの人が「そんなことはやっている」と言うらしい。

 

しかし例えば「見る」だが、フランスで行った調査では、認知症で寝たきりの患者にアイコンタクトと言える0・5秒以上の視線の投げかけをしている医師や看護師は1人もいなかった、という。

 

「目を合わせる」という人間として普通のコミュニケーションをするだけで、寝たきりで反応がなかった人が、脳にスイッチが入ったように覚醒し、言葉を発するという結果につながる。ジネスト氏は、反応がないといわれていた人が、実は動ける事例を数多く体験した。

 

 ユマニチュードの広がりによりフランスでは高齢者施設で「革命が起きている」という。高齢化が急速に進む日本で、ユマニチュードはフランスの次に関心が高く、盛んに研究されている。ユマニチュードが重要だと考えていることは、人とのコミュニケーションでは普遍的なもの。ジネスト氏は、日本の「引きこもり」の若者の援助にも役立てるのでは、と語っている。ユマニチュードは日本でも革命を起こすかもしれない。

(ジャーナリスト 舟越 美夏)(KyodoWeekly3月9日号から転載)

 

 

 【はじめに】

人口の高齢化は、日本でも、世界でも、急速に進んでいます。

病院においても高齢の患者さんの占める割合が年々高くなってきています。 
病院は“病気を治す場所"として、体調を崩した方が次々に訪れます。
しかし、患者さんが脆弱な高齢者である場合、疾患だけを治していても、その方の健康を取り戻すことは難しくなっている。

たとえば、肺炎で10日間入院しているあいだに歩けなくなってしまったり、自分で食事がとれなくなってしまった人。

認知の機能が低下して自分がどこにいるのかわからず、入院中であることを理解できない人。治療の意味がよくわからずに点滴を自分で抜いてしまい治療の継続が困難な人……。

 

そして、このような人々の多くは、入院の直接の原因となった疾患は治っても、自宅での生活に戻ることができなくなる場合が少なくありません。


そもそも、わたしたちが学んできた医学は、治療の意味が理解でき、検査や治療に協力してもらえる人を対象とすることを前提にしています。


そんなとき、高齢者とりわけ認知症の人にも有効なケアがフランスに存在し、ユマニチュードというそのケアを実際に経験するために、2011年の秋にわたしはフランスを訪れました。

そこで学んだケアの技法は、非常に具体的な技術を原則にのっとって実践するものであり、わたしはこの技法は日本でも十分に利用できる、と確信をもちました。
***

ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。

この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。

認知症の方や高齢者のみならず、ケアを必要とするすべての人に使える、たいへん汎用性の高いものです。
体育学の教師だった2人は、1979年に医療施設で働くスタッフの腰痛予防対策の教育と患者のケアへの支援を要請され、医療および介護の分野に足を踏み入れました。

その後35年間、ケア実施が困難だと施設の職員に評される人々を対象にケアを行ってきました。
彼らは体育学の専門家として「生きている者は動く。

動くものは生きる」という文化と思想をもって、病院や施設で寝たきりの人や障害のある人たちへのケアの改革に取り組み、「人間は死ぬまで立って生きることができる」ことを提唱。
その経験の中から生まれたケアの技法がユマニチュード。

現在、ユマニチュードの普及活動を行うジネスト‐マレスコッティ研究所はフランス国内に11の支部をもち、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダなどに海外拠点があります。また2014年には、ヨーロッパ最古の大学のひとつであるポルトガルコインブラ大学看護学部の正式カリキュラムにユマニチュードは採用されました。


「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ"を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Négritude)」にその起源をもちます。

 

その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある"状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。


さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい"存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する。

―つまりその人の“人間らしさ"を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義。

これが哲学としてのユマニチュードの誕生。

 

***


この本は、このケアの創始者であるイヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティと、この2人から直接指導を受けた看護師との共同作業を通じて生まれた。

そのケア介入の効果がときに劇的であることから、「魔法のような」と呼ばれることもありますが、ユマニチュードは決して“魔法"などではなく、誰もが学ぶことができ、実践することができる、具体的な技術です。

この本では、その入門編として、ユマニチュードの基礎となる考え方と技術を紹介しています。 

2014年4月  国立病院機構東京医療センター  本田美和子

 

 

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ジネスト,イヴ
ジネスト‐マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス文部省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野にかかわることとなった

 

マレスコッティ,ロゼット
ジネスト‐マレスコッティ研究所副所長/SASユマニチュード代表。リモージュ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス文部省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野にかかわることとなった

 

本田/美和子
国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センターエイズ治療研究センターを経て2011年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

 

ユマニチュードは介護を必要とするすべての人へ向けたケアですが、とくに認知症を持つ方に有効とされており、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つがケアの柱。

見つめ、語りかけ、触れて尊い存在であることを伝える。

ユマニチュード・メソッドとは、ケアを通じて愛情を伝える実践的技術。
「技術なのです。学んで身につけたら、それは職業人として一つの動作になります」
二人で行う場合には役割を分担し、一人が「見る」「話す」ことで注意をひき、もう一人が「触れる」ケアに徹する。

【見る】 相手の「まなざしを捉える」ことから始まる。目線の高さを同じにして、正面からゆっくりと相手を見つめる。
「お母さんが赤ちゃんに話しかけるのと同じように、相手が私の息づかいを感じるくらいまで近づきます」
「相手を見ない」ということは「あなたは存在しない」というメッセージを発していることに他ならない。ユマニチュードでは相手を「見る」ためには0・5秒以上のアイコンタクトが必要。
「目が合うと、前頭葉が情報を直接受け取り、扁桃核のネガティブな反応を抑えます」
その間、黒衣役が清拭などのケアを黙々と進めていく。

【話す】 話しかけるときの声のトーンは「優しく、歌うように、穏やかに」。相手の反応が得られない場合には、黒衣役が何をしているのか「ケアの実況中継と予告」を行なうことで、不安を感じることのないよう、語りかけを絶やさぬよう努める。反応がないからといって話しかけないということは、「見ない」と同様、相手が「存在しない」というメッセージを発していることになる。

【触れる】 ケアの途中で「右手を挙げてください」など、本人に協力を仰ぐことで関節や筋肉を動かし、脳に刺激を与える。ただし、サポートが必要な場合の「触れる」という行為には慎重さが求められる。
「親指をかけて鷲づかみにしたり、指先だけで触れると、認知症の人には『攻撃』のメッセージが伝わってしまいます」広く、柔らかく、ゆっくり、撫でるように、包み込むように触れることで、「愛情」を伝える。また、いきなり、プライベートゾーンである手や顔、陰部のそばに手を置かない。

【立つ】 ケアを受ける人が40秒間立っていられるなら、立位を含んだケアが可能。清拭、着替え、歯みがき、洗顔を合計すると、一日20分のリハビリ時間が確保できる。ただし、立位介助の際は、からだを持ち上げて足の裏にかかる体重を減らさないこと。大脳に誤った知覚情報が届き、筋肉への力の入れ方、関節の動かし方がわからなくなるためだ。同様に背中を支えることも避ける。

 

出会いから再会の約束まで5つの段階を踏んで完結

ユマニチュードでは、ケアする人の存在に気づいてもらい、「この人となら良い時間を過ごせる」と感じてもらえるよう、すべてのケアを次の手順で行なう。

Step1 「出会いの準備」 ドア(大部屋の場合は壁)を3回ノックし、3秒待つことを2度繰り返し、反応がなければ1回ノックしてから「失礼します」と声をかけて部屋に入る。近づき、ベッドボードを1回ノックする。大切なのは「自分が来たことを告げて、相手の反応を待つ」こと。

Step2 「ケアの準備」 いきなりケアの内容を伝えるのではなく、「○○です。お話をしに来ました。ご一緒してよろしいですか?」など、「あなたに会いに来た」というメッセージを伝える。3分以内に同意が得られなければ、出直す。

Step3 「知覚の連結」 「見る」「話す」「触れる」ことで「あなたが大切」だということを伝える。2つ以上の感覚から心地よい情報を伝える「包括性」が大切。このとき、五感が受け取る情報を矛盾させないこと。

Step4 「感情の固定」 「シャワーは気持ちよかったですね」など良い時間をともに過ごしたことを振り返り、ポジティブな感情記憶を残す。

Step5 「再会の約束」 その場を離れるときには、「明日また来ますね」など、優しくしてくれた人がまた会いに来てくれるという喜びや期待の感情を記憶に残す。

リクルートドクターズキャリア」ユマニチュードの哲学とは より

 

ユマニチュードとは「人間らしくあること、人間らしさを取り戻すこと」という意味。

「病気で一人、ベッドにいる。痛みと汚れで惨めな思いをしていると、誰かがドアをノックして私の返事を待った。一人の男が入ってきた。私の目をじっと見つめ、側に座り、静かな温かい声でこう話した。『私はあなたをケアするために来ました。私は専門家です』」

 ケアに関わる多くの人が「そんなことはやっている」と言うらしい。

しかし例えば「見る」だが、フランスで行った調査では、認知症で寝たきりの患者にアイコンタクトと言える0・5秒以上の視線の投げかけをしている医師や看護師は1人もいなかった、という。

「目を合わせる」という人間として普通のコミュニケーションをするだけで、寝たきりで反応がなかった人が、脳にスイッチが入ったように覚醒し、言葉を発するという結果につながる。ジネスト氏は、反応がないといわれていた人が、実は動ける事例を数多く体験した。

 「女性と目が合う。浮かんできたのは『生きている』という言葉。アイコンタクトのパワーを久しぶりに実感する」。回復するのを見て感動しケアをする方も達成感を覚え、互いに笑顔が増える。より「人らしい」ケアを可能にするのがユマニチュードの技術といえるかもしれない、と大島氏は言う。

 ユマニチュードの広がりによりフランスでは高齢者施設で「革命が起きている」という。高齢化が急速に進む日本で、ユマニチュードはフランスの次に関心が高く、盛んに研究されている。ユマニチュードが重要だと考えていることは、人とのコミュニケーションでは普遍的なものだ。ジネスト氏は、日本の「引きこもり」の若者の援助にも役立てるのでは、と語っている。ユマニチュードは日本でも革命を起こすかもしれない。

5.認知症介護でよくある問題とその対処例

【1】「食事をとってくれない」
継続的な食事拒否は栄養失調や低血糖などに繋がる恐れがあります。

●食べ方がわからなくて混乱
認知症の進行度合いによっては、箸や食器の使い方がわからなくな ってしまいます。

その場合は、介助者も目の前で一緒にゆっくりと食事をとることで、食べ方を思い出し、つられるように食べ始めることがあります。

また品数が多いと、与えられる情報量も多くなり混乱してしまうことがあります。1品ずつ順番に提供するなどして、小出しにするとよいでしょう。

●食べ物を認識できない
認知症が進行すると、視野が狭くなり、正面にあるものしか認識できなくなったり、目の前のものが食べ物なのかを判断できなくなったりします。

そのため、食事の介助をするときには、料理をスプーンにすくって目の前まで運び、「このお肉を食べましょうね」などと示してあげることが効果的です。

●嚥下障害や薬の影響
高齢者の場合、義歯の不具合や飲み込む能力の低下などの問題を抱えていることがあります。

また、服用している薬の影響により、胃腸の調子が悪くなっていたり、味覚が変わっていることもあります。

こういった可能性がある場合は、ご家族などにできることは少ないので担当の医師や看護師へと速やかに相談しましょう。

【2】「どこかへ行こうとする」
認知症による徘徊の理由にはさまざまですが、直接的な制止はしないようにしましょう。

介護をする側にとっては、おかしな行動かもしれませんが、本人は必要に差し迫られての行動です。「それは違う」と否定してしまうと、逆上してしまったり混乱してしまったりします。

まずは共感してあげ、「出掛ける前に上着を着ましょう」「一緒に出掛ける準備をしましょう」などと、別の目的へと誘導してあげるとよいでしょう。

また、漠然とした不安や心配から、このような行動に出ている場合もあります。

落ち着ける環境を整えてあげたり、本人の得意な家事などを任せて自信をつけさせてあげることも有効です。

【3】「過去の習慣をおこなおうとする」
認知症では、古い記憶ほど強く残り、新しい記憶は失われていきます。

そのため、何十年も前に退職した会社へ出社しようとしたり、亡くなってしまった夫の食事を作ろうとしたりします。

もしかしたら本人は、数十年分の記憶を失い、若い頃の自分に戻っているのかもしれません。

そこで本人を否定しても、理解できずに混乱してしまいます。

本人の「現在」はいつの時代になっているのか。ということを考え、本人の話に合わせて「今日は日曜日なので会社は休みですよ」というように、誘導してあげましょう。

「なるほど!ジョブメドレー」より

 

 

 

 

 
 ユマニチュード(人間らしくあること、人間らしさを取り戻すこと)の技術は、生きようとする力を引き出すことのできるケアと思った。

人として尊重され、愛されながらケアされることで、ケアされる側は、潜在的に、期待に応えられるように、回復したい、生きたいという気持ちが生まれるのではないかと感じた。

また、時間をかけて丁寧に関わっていくことで、双方にポジティブな関係が築かれ、心地よい時間を共有することができると思った。

全ての人々に、人として尊重して関わっていく。たとえ反応がなくても、あなたを大切に思っていますというメッセージを伝え続けていく。当たり前のようですが、多重業務など生じたり、時間に気を取られたりすると、疎かになりがち。

 

私は、全ての人々に対して、エマニチュード技術に則って関わっていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「運動不足」   運動しなきゃけれど‥‥。 コーヒーのダイエット効果にも期待してしまいます。

今週のお題「運動不足」

運動しなきゃいけないけれど‥‥。

つい楽なダイエット効果に目がいってしまいます。

 

 

父と娘のこだわりのひとつ、珈琲☕️

 

 昔から、コーヒー好き。

母もコーヒーが好きでした。

朝のコーヒーは欠かせません。

 

 

そして、珈琲には嬉しい効果もあります。

 


一般社団法人全日本コーヒー協会”コーヒーと健康”より

 コーヒーはダイエットに効果的?

ボディラインが最近気になって・・・そんなお悩みも、コーヒーを飲みながらすっきり解決できそうです。
太りやすい人は自律神経の働きが弱いと言われているのをご存知ですか?
内臓や血管の働きをコントロールしている自律神経には、「交感神経」と「副交感神経」の2つがありますが、このうち「交感神経」が私たちの体重や体脂肪の量を調整しています。「交感神経」は食欲を抑制し、脳からの指令を脂肪細胞へ伝達して脂肪を消費させる働きを担っています。
コーヒーを飲むと、この自律神経の働きが促進され、脂肪の代謝を高める効果が得られるということがわかってきました。

さあ、おいしいコーヒーを淹れて、しなやかな体作りを始めてみてはいかがでしょうか?

 

研究報告

京都大学大学院人間・環境学研究科の森谷敏夫教授らの研究より
カフェイン入りとカフェインレスの2種類のコーヒーについて、自律神経の活動を心拍変動パワースペクトルという方法で調べたところ、コーヒーに特有の香り成分や苦味物質などに総自律神経活動を高める効果があるのではないかという結果が得られました。同時に脂肪の代謝を示す呼吸商という値についても調べられ、カフェイン入り、カフェインレスとも、顕著に脂肪代謝を高めることが認められました。

 

国立病院機構京都医療センター予防医学研究部の坂根直樹室長の
「コーヒーを活用した楽しい減量プログラム」


このプログラム実施の結果、「体重の減少」「筋肉率の上昇」「収縮期血圧の低下」「LDL(悪玉と呼ばれている)コレステロール値の低下」について効果が得られています。
根室長は、コーヒーをダイエットに活かすポイントを次のようにまとめています。
空腹時に香りを楽しむ(ガブ飲みをせず、砂糖のかわりに甘い香りのフレーバーコーヒーなどを使用する)
寝る前には飲まない(眠気覚ましは間食が増える)
食後のコーヒーは、それ以後には間食はしないというサイン
コーヒーを飲んでから運動する
コーヒーはおやつを流し込むための飲み物ではなく、味と香りを楽しむもの。ゆったりとくつろぎのコーヒータイムをお過ごしください。

 

 

 

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 コーヒー生豆 ペルー オーガニック(有機栽培) 

有機栽培や環境への取り組みに積極的な南米のコーヒー生産国。
欠点でグレード分けされておりG1規格の有機認証農園産のコーヒー。
程よい酸味と柔らかな優しい味わいのオリジン。

 

 

焙煎前の生豆の状態で購入し、自分で焙煎します。

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デロンギ のコーヒーメーカーで抽出。

思い切って購入して、7年目になります。

豆と水を入れるだけで、美味しいホットコーヒーの出来上がり。

毎日、大活躍しています。

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 いい香り。

程よい苦味と酸味。

癒されるひと時。

ご馳走様です。

 

coffee.ajca.or.jp

nestle.jp